2018年3月26日月曜日

ハーバード不動産デザイン学科におけるキャリアについて

無事に3セメスターやらJapan Trekが終わり、最後のセメスターに取り組むまでブログ更新が滞っていました。すみません。

このブログを読んでくださって、何人かの方々からも問い合わせをいただいたので、まずは留学におけるキャリアについて、僕のケースとクラスメートなどのことをまとめておきたい。(個人の回想的になっているので、将来は削除するかもしれません。あしからず)

自身のキャリアについて

僕のバックグラウンドは純粋な建築設計で、出身地である高知で叔父が家業としてアトリエ系の事務所をしている。もちろん自宅も叔父が設計したので、ごくごく自然な流れで建築家を目指すようになった。
艸建築工房(ソウケンチクコウボウと読みます)
http://www.sou-af.jp/

早稲田大学の建築学科、大学院(石山修武研究室)へと進み、意匠系の道を歩みながらも、やはり家業として設計業の良し悪しも感じながらの進学であったため、自身で建築を通じた社会的インパクトと持続可能な業について、悶々と悩み試行錯誤を学外では繰り返していた。

ひとつの出逢いは、大学の先輩である佐藤オオキさんが立ち上げたデザインオフィスnendo。
http://www.nendo.jp/

nendoの黎明期に目白の小さな事務所で奮闘するオオキさんやその仲間からデザインビジネスについて、First Handな経験を得るとともに、自身もデザインビジネスが好きであることに気付いた瞬間だった。

そして「10年後にしたいことが今あるなら、迷わず今行動することの大切さを思い知った、もちろん日本で出来なければ、日本を出てもいい」ことを。

その後、自身のデザイン事務所を興して、名刺一枚のデザインからブランディング、CIを行ったり、建築やプロダクトのデザインを行うなどデザインビジネスの試行錯誤をくりかえしていた。

転換期だったのはスリランカでのリゾートホテルの設計。
スリランカでの不動産開発を行う日本人に連れられて、たまたま叔父と親交があった建築家Geoffrey Bawa氏とのご縁も手伝って、現地入りし、取り組んだ仕事だった。
結局はその後のリーマンショックの影響や新興市場での不動産開発の難しさなどで、プロジェクト自体はSD Review賞をいただいたにも関わらず、ウワモノのお金が集まらず、未完のプロジェクトとなった。
ただ、この時に苦渋を舐めたことと、不動産開発についてのインスピレーションを得たことが今の自分につながっている。

「もし、自分自身があの時、クリエイティブな不動産事業者だったらどうしたか?」

この問いに応えるには、自分が不動産事業者になってみる必要があった。

その後はSD Review賞も手伝って、鹿島建設設計本部のコンペチームからオファーをいただくことになる。
コンペチーム後は都市計画グループという不動産開発とUrban Planningを国内外で実施するチームで厄介になった。
ご存知かもしれないがSD Review賞は鹿島のトップでもあり、鹿島出版会を盛り立ててきた鹿島昭一氏と槇文彦氏、そして代官山ヒルサイドテラスのオーナーである朝倉氏により立ち上げられた展覧会だ。

鹿島建設は、建設はもとより設計、不動産開発も行っていたため、上流から下流まで規模感のある不動産開発に現場レベルで関わらせていただき、大変貴重な経験をさせていただいたし、PFIやJVの現場レベルでの動きもなんとなく身につけることができた。

実は大手ゼネコンはバブル期には海外のデザイン的知識の獲得と開発スキームの導入のためにかなりの数の留学支援を出していた。僕の上司もその一人でGSDの卒業生だったため、いろいろとインスピレーションをいただいた。
だが、残念ながら僕の時期は社費留学などの制度がなかったため、奨学金を獲得する道しかなかったというのが正直なところ。
結果的にはフルブライトへの応募を通じて、想像以上に得られるものが多かった。フルブライトについては別投稿で詳しく書きます。

また、鹿島での仕事と平行して行っていたのが、スリランカ以来の不動産業へのリベンジだった。おかげで都内某所でいくつかの土地を仕込み、みずから銀行と交渉、設計をし、コンストラクション・マネジメントを行い、リーシングも行うといった、上流から下流へのオール・イン・ワン・パッケージを経験した。
最初のプロジェクトははっきり言って、毎日リスクと闘いながら寝られない日々が冗談じゃなく2年ほど続いたが、今となっては喉元過ぎればなんとやらである。

こういった事業性から建築や都市に対してアプローチする方法以外に、僕のもうひとつのテーマでもある非営利型の街づくり活動も続けていた。
石巻での集団移転コミュニティプロジェクトと拠点創出のためのプロジェクトだ。
http://kawanokami.com/

これらの活動がひとつとなって、時期も熟したと判断し、留学に踏み切った。


留学後のキャリアについて
ハーバード、不動産デザイン学科での授業内容やプログラム概要はすでに執筆した記事を参考いただくとして、では実際に学生たちはどのようなキャリアを歩むことになるのか、そして僕自身のキャリア形成についての考え方について記載しておきたい。

まず、不動産デザイン学科に来る学生はバックグラウンドが非常に多様で、ファイナンス出身、アトリエ出身、建設会社出身者がいることは書いた。

僕のクラスメートや前後の年代の卒業後キャリアは概ね下記

・デザインオリエンテッドのデベロッパー(Related Company, Gemdale, Hines...)
・デベロッパー/アーキテクト(DDG, ASH... )
・Private Equity(Morgan Stanley, Angelo Gordon, Blackstone, Goldman Sachs)
・アセット・マネージャー、ブローカー(Pension Fund, CBRE, JLL )
・コンサルタント(Boston Consulting..)
・起業(自国での家業、不動産業を拡大)
・その他テック系スタートアップ(とくに投資、ブロックチェーン関連)

この中でもPrivate Equityやアセット・マネージャーという業界が建築出身者、あるいは日本の不動産、ゼネコン出身者には馴染みがないのではないだろうか。
だが、実はこのキャリアが一番人気。

米国を中心とする不動産開発においては、じつはReal Estate Private Equityというファンドスキームが大きな役割を担っていることが事実であることを、恥ずかしながら僕もはじめて知った。
日本においてもリーマンショック前後にMorgan StanleyやFortressが様々な大型ホテルやビルを買収したことを覚えている方もいらっしゃるとは思うが、具体的に彼らのビジネスがどうなっていて、建築的Add Value、付加価値とどう関わっているのかを知れたのは不動産デザイン学科での授業のおかげである。

米国や香港を中心とする不動産投資のビジネスに透明性が高い市場では、Private Equityがスター・アーキテクトであるFrank GehryやRenzo Piano、安藤忠雄を雇って、攻め攻めのプロダクトを創り上げる事例もあるほど。そしてファームは少数精鋭のチームであることが多い。

僕自身が個人レベルで行っていた不動産オーナー件デザイナー業を国際的な文脈のもとにスケールするために欠けていたのは、このフレームワークだったのだと気付かされた。

では具体的にどうやって、このフレームワークを手に入れるか。

米国留学ではサマーインターン制度が非常に重要で、キャリア形成のための試行錯誤にとって貴重な機会でもある。もちろん大学の名前をレバレッジするなら、この機会である。

僕の場合は結果からいうとMorgan Stanley CapitalとAngelo GordonというReal Estate Private Equityで修行を積ませていただき、実際のディールにも関わることができ、自身の限界をかなりプッシュすることができた。サマーインターンのアプライ・プロセスや成果については別途。

この経験をもとに、卒業後の進路を現在固めているところである。
もちろんクラスメートも一流の企業でのサマーインターンを通して一回りも二回りも成長し、帰ってくる。そしてお互いに情報交換をし合うことで、さらに各業界でのキャリア形成についての理解を深めたり、人脈を厚くしてゆくことを留学生活後半に向けて続けてゆくことになる。

このPrivate Equityという手法をどう活用するか、構想はいろいろあるし、昨年から具体的に動きだしていることも含めて、また時期をみつつ発信してゆきたいと思う。